LOGIN残り三日になった朝、エリナは夜明け前に目が覚めた。
眠れなかったわけではない。ちゃんと眠った。でも、空が明るくなる前に、自然に目が開いた。 台所に行って、湯を沸かした。 薬草茶を作りながら、窓の外を見た。 ルシェムの夜明け前の空は、深い藍色だった。 今日、出発する。 ゴードンと二人で、王都へ向かう。フィオナと同じ宿に泊まる。明日、最終確認をする。明後日、謁見の間に立つ。 順番が、頭の中に整然と並んでいた。 でも今朝は、順番を確認するより先に、別のことを考えていた。 ここから出発する。 ルシェムから。 あの日、母と一緒に屋敷を出た。小さな荷物一つ持って。生後十一ヶ月の自分が、母の腕の中から遠ざかっていく屋敷を見ていた。 それがすべての始まりだった。 その場所から、今日、王都へ出発する。セレーナが台所に来たのは、空が少し白くなった頃だった。
「起きてたの?」 「目が覚めた」 「緊張している?」 「少し」 セレーナが隣に座った。エリナが作った薬草茶を、一口飲んだ。 「お父さんの話をしてもいい?」 セレーナが少しだけ目を動かした。 「もちろん」 「父が王宮に仕えていた頃、出発の朝はどういう感じでしたか?」 セレーナがしばらく考えた。 「いつも早起きしてたわ。あなたと同じ」 「そうですか」 「宮廷に行く前の朝は、特に静かな人だった。でも、目だけが違った。いつもより、遠くを見てる目をしてた」 「遠くを見ている目、とは」 「次のことを、もう見ている目。まだここにいるのに、すでに次の場所にいるような」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「今の私は、そういう目をしていますか?」 「似てる」セレーナが穏やかに言った。
「でも、少し違う」
「どう違いますか?」 「お父さんの目は、遠くを見ていた。でも、あなたの目は、遠くを見ながら、ここも見ている」 エリナは窓の外を見た。 空が、少しずつ明るくなっていた。 「ここも見ている、というのは?」 「ルシェムを。私を。ここで待っている人たちを。お父さんは、あまりそういう目をしなかった。次のことが大きすぎて、足元が見えにくかった人だから」 「それが、弱点でしたか?」 「弱点というより、そういう人だった。でも——」セレーナが少し笑った。
「あなたは、ちゃんと両方見ている」
朝食を食べた後、マリオが来た。
いつもより少し早い時間だった。 「見送りに来た」 「ありがとうございます」 「大したことはできないけど、見送りくらいはしたい」 エリナは荷物を確認した。 報告書の最終版。確認書。データの書類。着替え。薬草茶の葉。それとルナが持たせてくれた小さな布袋。中に、手作りの解熱薬と風邪薬が入っていた。 「念のため」 「念のためは大事です」とエリナが答えると、ルナが珍しく小さく頷いた。
荷物を確認し終えて、エリナはルナに言った。 「留守の間、作業場とルシェムの現場を頼みます」 「わかった」 「猫も」 「猫も。ちゃんとやる」 「信頼しています」 「知ってる」 ルナが、珍しくエリナの方を少し長く見た。 「エリナ」 「何?」 「頑張って」 ルナが「頑張って」と言ったのは、初めてだった。 エリナは少しだけ止まった。 「ありがとう」 「どういたしまして」グレンが、長屋の前に来ていた。
「見送りか、と思って来た」 「来てくださったんですか」 「遠くないから」 グレンが、大きな手でエリナの頭を一度だけ、ぽんと叩いた。 「行ってこい」 「行ってきます」 「ちゃんとやれ」 「やります」 それだけだった。 グレンは、それ以上は何も言わなかった。でも、それだけで十分だった。ハンスも来ていた。
マリオの父親だ。作業場の壁を直してくれた人。最初に木の容器を作ってくれた人。 「ハンスさん」 「行くのか」 「はい」 「何か、足りないものはないか?」 「全部、揃っています。ハンスさんのおかげで」 ハンスが少しだけ、目を細めた。 「うちの倅が、世話になっている」 「マリオにこそ、世話になっています」 「あいつはお前がいると、いきいきしてる。それで十分だ」 エリナは、その言葉を受け取った。ゴードンが馬車の前で待っていた。
荷物はすでに積んであった。手際が良い。 「準備はいいですか?」 「はい」 「では、参りましょう」 馬車に乗ろうとした時、マリオが言った。 「エリナ」 「何?」 「一つだけ言っていいか?」 「どうぞ」 「俺は、ずっとここにいる。帰ってくる場所がある」 エリナは少しだけ止まった。 「わかっています」 「でも、言いたかった」 「……ありがとう」 「それだけだ。行ってこい」 マリオが少し笑った。目が、少し赤かった気がした。 エリナは馬車に乗った。馬車が動き出した。
窓から外を見ると、長屋の前に人が集まっていた。 マリオ。ルナ。グレン。ハンス。 それぞれが、それぞれの立ち方で立っていた。 マリオが手を振った。 ルナが少しだけ手を上げた。 グレンは腕を組んで立っていた。 ハンスは静かに頷いた。 馬車が進んで、長屋が遠くなった。 エリナは窓から、遠ざかっていく長屋を見ていた。 没落して、この長屋に来た日のことを、少しだけ思い出した。 母と二人で、小さな荷物を持って来た日。 あの時、この長屋が自分の場所になるとは思っていなかった。 でも、なった。 今、この場所から出発する。 帰ってくる場所がある、とマリオが言った。 そうだ、と思った。ゴードンが、少し間を置いてから言った。
「いつもより、多くの人が見送りに来ていましたね」 「そうですね」 「みんな、何も言わないが、待っているということです」 「知っています」 「知っていても、言葉にすることが大事な時があります。私も、言っておきたいことがある」 「どうぞ」 「エリナさん」ゴードンが少し間を置いた。
「私が商人ギルドで告発して、居場所を失った時、正しいことをしても報われないものだと思っていた」
「そうだったんですか」 「そうでした。でも、この一年で、少し考え方が変わった。正しいことをしても、すぐには報われないかもしれない。でも、正しいことの記録は残る。誰かが、いつかそれを見る」 「父の記録が、学院に残っていた」 「そうです。アッシュフォード侯爵の案は、消えなかった。あなたが、今日それを持って王宮に行く」 エリナは窓の外を見た。 街道が続いている。 「ゴードンさんの告発の記録も、どこかに残っていますか?」 「どこかにあるはずです。ギルドが消したかもしれませんが、あの時私から話を聞いた人間が、何人かいる。記録は、文書だけではない」 「そうですね」 「あなたが今日持っていく数字も、同じだと思います。報告の場が終わっても、その数字は消えない」宿場町で一泊して、翌日の昼に王都に着いた。
フィオナが、宿の前で待っていた。 今回も、直接会う場面だった。 エリナが馬車から降りると、フィオナが一歩近づいた。 「来た」 「来た」 また、二文字だった。 でも、今回のその二文字には、前回より多くのものが入っている気がした。 「準備は?」 「整っている」 「報告書は?」 「持ってきた」 「確認書は?」 「持ってきた」 「全部ある?」 「全部ある」 フィオナが少しだけ息を吐いた。 「よし」 それだけ言って、宿の中に案内してくれた。その夜、三人で夕食を食べた。
ゴードンとフィオナとエリナ。 料理は、宿のものだった。質素だが、温かかった。 食べながら、フィオナが言った。 「明日、謁見の前に十分確保してある。殿下が確認してくれた」 「ありがとう」 「当日の流れを、今夜確認しておく?」 「お願いします」 フィオナが手帳を開いた。 「午前十時、謁見の間。まず陛下が入場。次に高官と貴族たち。クロヴェル侯爵は右側の列に入る。学院の師匠とレインは、左側の壁際に立つ形になる。あなたとゴードンさんは、中央の少し前に立つ」 「レインが、同じ部屋にいる」 「いる。でも、発言できる立場ではない。師匠の記録担当として同席する形だから、発言は師匠だけ」 「わかりました」 「あなたの発言は、報告書を読み上げる形ではない。要点を話す形になる。長くて三十分、短ければ二十分くらいを想定している」 「報告書は、事前に配布されますか?」 「陛下と高官には、前日に届けてある。アルバ殿下が手配してくれた」 「では、当日は補足と質疑応答が中心になる可能性がある」 「そうなると思う。クロヴェル侯爵が、途中で発言することもあるかもしれない」 「想定しています」 「その時、どうする?」 「事実を言う。感情では返さない。数字で返す」 「それが、あなたらしい」フィオナが少し笑った。
「でも、一つだけ追加で言いたいことがある」
「何ですか?」 「感情で返さなくていい。でも、感情がないふりもしなくていい」 エリナは少しだけ止まった。 「どういう意味ですか?」 「謁見の間には、いろんな人がいる。数字で動く人もいれば、感情で動く人もいる。あなたは数字で語るのが得意。でも、その数字の後ろに、あなたがいることを見せてもいい」 「私が、いることを?」 「おばあさんの孫の話から始まる報告書を書いた人間が、そこにいる。それが伝われば、三つ目の人たちが動くかもしれない」 エリナは、フィオナの言葉を少しだけ考えた。 「数字の奥に人がいることを、忘れないようにしたい」 「え?」 「レインが言っていた言葉です」 「……そういうことを言うのね、あの人は」フィオナが少し目を細めた。
「あなたにしか言わないと思うけど」
「そうかもしれません」 「じゃあ、明日はそれを持って行きなさい。数字と、その奥にいる人たちのことを」夜、エリナは部屋の机に向かった。
レインへの短い手紙を書いた。 レインへ 王都に着いた。フィオナと夕食を食べた。明日、最終確認をして、明後日謁見の間に立つ。 あなたが同じ部屋にいることを、フィオナから確認した。 『あなたがいてくれれば、少し落ち着けると思う』と書いた。今も、そう思っている。 明後日、そこにいてほしい。 ――エリナ―― 書いて、封をした。 明後日、届ける。 今日出しても、郵便では間に合わない。 だから、明後日、直接渡す。 エリナはその封筒を、荷物の中の一番取り出しやすい場所に入れた。 ランプを吹き消した。 王都の夜は、ルシェムより少し明るかった。 街の灯りが、窓の外に滲んでいた。 明後日。 エリナ・アッシュフォード、八歳。 今日、出発した場所から、ここまで来た。 明後日、父が夢見た場所に立つ。 一人ではない。 それだけは確かだ。フィオナがルシェムに来たのは、謁見から二週間後のことだった。 予告なしだった。 朝、市場から戻ったマリオが、息を切らして事務室に飛び込んできた。 「フィオナさんが来た」「どこに?」「市場の入り口。馬車で来てる。荷物が多い」「荷物が多い?」「トランクが二つある」 エリナは少しだけ止まった。 「泊まりではなく、しばらくいるつもりですか」「そういうことじゃないか? 迎えに行くか?」「行きます」 市場の入り口に着くと、フィオナが馬車の横に立っていた。 久しぶりに、ルシェムで見るフィオナだった。 王都で会った時とは少し違って見えた。服装は変わらないが、顔が少し違う。 疲れている、と手紙に書いていた。 確かに、少し疲れた顔をしていた。 でも、エリナを見た瞬間、目が変わった。 「来た」「来ましたね、予告なしで」「予告したら、準備されすぎると思って。あなたのことだから、部屋を完璧に整えて、食事まで用意して待っていそうだから」「そうしようとしていました」「でしょう。だから、言わなかった」「荷物が多いですね」「しばらくいようと思って」 フィオナが少しだけ声を落とした。「王都からの仕事は、手紙でできる部分も多い。しばらくルシェムで動きながら、こちらの空気も吸いたかった」「どのくらい?」「一週間か、二週間か。決めていない」「決めなくていいです。いたいだけいてください」 マリオが荷物を運んでくれた。 フィオナが見ると、少し驚いた顔をした。 「マリオ、大きくなった?」「なってないと思うけど、フィオナさんが久しぶりに会うから大きく見えるだけじゃないか?」「そうかもしれない。でも、なんか違う。顔が違う」「どう違う?」「前より、落ち着いた顔をしてる」「そうかな」
翌日から、エリナは動き始めた。 といっても、急いでいるわけではなかった。 落ち着いて、一つずつ。 謁見の翌日以降に何をするかは、帰り道の馬車の中でゴードンと話し合っていた。 優先順位は決まっていた。 一つ目、商会の代表変更の正式書類を処理する。二つ目、各町の現場責任者に謁見の結果を報告する。三つ目、フィオナと連携して規制案の継続審議への対応を続ける。四つ目、学院の衛生教育の検討に、商会として協力できることを提示する。 どれも、急ぎではない。 でも、止まってもいない。 まず、商会の代表変更の書類が届いた。 アルバ殿下が約束した通り、一週間以内に書状が来た。 正式な書類に、エリナ・アッシュフォードの名前が入っていた。 アッシュフォード商会の代表者、エリナ・アッシュフォード。 ゴードンがその書類を机の上に置いた。 「これで、正式になりました」「そうですね」「どういう気持ちですか?」 エリナは少しだけ考えた。 「思っていたより、静かな気持ちです」「静か、とは」「もっと大きな感情が来ると思っていた。でも、静かだった。当たり前のことが、形になった、という感じです」「それが、正しい感覚だと思います」ゴードンが静かに言った。「当たり前のことを積み上げてきたから、当たり前に形になった」「ゴードンさん」「はい」「代表名義をずっと引き受けてくれていた。本当にありがとうございました」「礼はいりません。でも、受け取ります」 それだけだった。 それで十分だった。 次に、各町の現場責任者への報告をした。 マグダ、シェナ、ジルカに、それぞれ手紙を書いた。 謁見の結果。陛下が約束を守ってくれたこと。商会の活動が引き続き認められたこと。今後も続けることができること。 返事は、それぞれ三日以内に来た。 マグダから。 エリナちゃん
ルシェムに帰った翌朝、エリナはいつもより少しだけ遅く起きた。 目が覚めた時、空はすでに明るかった。 珍しいことだった。 いつもは夜明け前に目が覚める。でも今朝は、光が差し込んでから目が開いた。 しばらく、布団の中でそのままいた。 これも珍しいことだった。 起きたら、すぐに動く。それがいつものエリナだった。 でも今朝は、少しだけそのままいた。 窓の外から、ルシェムの朝の音が聞こえた。 市場へ向かう人の足音。遠くで犬が吠える声。風が木の葉を揺らす音。 帰ってきた、と思った。 昨日も思った。でも、今朝も思った。 ここが、自分の場所だ。 台所に行くと、セレーナが先にいた。 「おはよう」「おはようございます」「よく眠れた?」「はい。遅くまで眠っていました」「そう。今日くらいは、いいんじゃない?」「そうかもしれません」 薬草茶を作りながら、エリナは窓の外を見た。 冬の朝の空は、澄んでいた。 「お母さん」「うん」「昨日、ゴードンさんから聞いた話があります」「何?」「学院が、来年から衛生教育を取り入れることを検討しているそうです。石鹸の使い方、薬草薬の知識、傷の手当ての手順を、学院の教育に組み込む話が始まっている」 セレーナが少しだけ手を止めた。 「それって、どういうことになるの」「学院で教えれば、学院の生徒が卒業して各地に行く時に、その知識を持っていく。一人が届けられる場所より、ずっと広い範囲に届く」「あなたが一年でやったことが、もっと広がるということ?」「そうなるかもしれません」「お父さんが聞いたら、何と言うかしら」 エリナは少しだけ考えた。 「『私よりうまくやっている』と言うか、それとも『まだ足りない』と言うか」「この前も同じことを言ったわね」「同じこ
翌朝、エリナは早く起きた。 今日、ルシェムに帰る。 荷物を確認した。報告書の写し。確認書の写し。殿下から預かったアッシュフォード商会の正式な代表変更に関する書状の下書き。そして、セレーナへの手紙。 全部、ある。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく朝から饒舌だった。 「昨夜の話、全部聞かせてもらうって言ったけど」「聞きますか?」「聞く。でも、今は聞かない」「なぜですか?」「あなたの顔を見れば、大体わかるから。今日は、その顔で十分」「どんな顔をしていますか?」 ゴードンが静かに言った。 「昨日フィオナが見たかった顔」 出発前に、フィオナと二人になった。 宿の前の小さな通りで、少しだけ話した。 「フィオナ、これからどうするんですか?」「王都にいる。まだやることがある。規制案はまだ継続審議のままだ。陛下が認めたとはいえ、クロヴェルが諦めたわけじゃない」「そうですね」「でも、今日は違う話をしたい」「どんな話ですか?」「あなたが帰った後のことを、少し考えた。王都に来てからの一年間、私はずっとここで動いていた。でも、いつかルシェムに行ってみたいと思っている」「ルシェムに?」「マリオとルナに、会いたい。あなたが話してくれた人たちに。あなたが動いてきた場所を、見てみたい」「来てください、必ず」「いつ行けるかはわからない。でも、行く」「待っています」 フィオナが少しだけ笑った。 「その言葉、昨夜もレインに言ったでしょう」「言いました」「同じ言葉が、自然に出てくるようになったんだね」フィオナが穏やかに言った。「前のあなたには、なかった言葉だと思う」「そうかもしれません」「いい変化だと思う」 フィオナが手を差し出した。 エリナはその手を両手で握った。
謁見が終わって、王宮を出たのは昼過ぎだった。 アルバ殿下が廊下で待っていた。 「よくやりました、エリナ殿」「ありがとうございます。殿下の準備がなければ、今日はなかった」「王都のデータは、効きましたね」 殿下が少し笑った。「右側の列が、ざわついた」「見えていました」「父上は、満足そうでした。あの顔は、久しぶりに見た。一年前に、『わくわくしている』と言いましたが、今日はそれ以上でしたよ」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「殿下、商会の代表についてお願いがあります」「ゴードンさんから聞きました。昨夜、連絡をいただいた」「はい。正式にエリナ・アッシュフォードの名で商会を持てるよう、陛下にご確認いただけますか?」「すでに父上に話しました。年齢の問題は、特例として認めていただける方向です。正式な書類は、来週中に届きます」「ありがとうございます」「アッシュフォード商会の代表が、アッシュフォードの名前になる。当然のことですから」 王宮の外で、師匠とレインが待っていた。 師匠がエリナに言った。 「一つだけ言っておく」「はい」「今日の発言で、一番良かった部分を教えてもいいか?」「ぜひ」「クロヴェルへの返答だ」 師匠が静かに言った。「感情で返さなかった。でも、感情がないふりもしなかった」 エリナはフィオナが昨日言っていた言葉を思い出した。 「感情がないふりもしなくていい、という言葉を、昨日フィオナからもらいました」「賢い子だ、フィオナ殿は。あの返答には、あなたがいた。数字だけではなかった」「届きましたか?」「届いた。俺には届いた。他の人間にも届いたと思う」 師匠が一歩退いた。 「俺はこれで失礼する。よくやった」「先生、ありがとうございました。一年間、本当に」「礼
謁見の日の朝、エリナは四時間ほど眠った。 眠れると思っていなかったが、眠れた。 目が覚めた時、空はまだ暗かった。でも、もう眠れなかった。 起きて、顔を洗って、薬草茶を作った。 ルナが持たせてくれた葉を使った。 温かい湯呑みを両手で持って、部屋の窓から外を見た。 王都の夜明け前。 ルシェムとは違う空の色だった。でも、夜明け前が静かなのは、どこでも同じだった。 今日、謁見の間に立つ。 もう一度、確認した。 怖い。でも、届けたい。 それだけでいい。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく静かだった。 いつもは何か言う人だが、今朝は食べながらあまり口を開かなかった。 エリナが「どうかしましたか?」と聞くと、フィオナが少し笑った。 「緊張してる」「フィオナが?」「私も人間だから。あなたが緊張するより、私が緊張してる気がする」「なぜですか?」「あなたが上手くいくかどうかを、見ている立場だから。自分が話すより、大事な人が話すのを見ている方が、緊張する」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 大事な人が話すのを見ている方が、緊張する。 「フィオナ」「何?」「今日、謁見の間に入れますか?」「入れない。謁見の場に入れるのは、名前がある人間だけ。私には、今は資格がない」「そうでしたか」「廊下で待ってる。終わったら、すぐ出てくるでしょう。その顔を見る」「どんな顔をしていると思いますか?」「わからない。でも、見たい顔をしていると思う」 謁見の前の十分間は、王宮の廊下の一角で過ごした。 フィオナ、ゴードン、エリナの三人。 廊下は石造りで、冷たかった。外の空気が、石を通して伝わってくる。 エリナは上着の内ポケットに手を当てた。 手紙が、ある。 フィオナが言った。 「今日の目標を、一つだけ確







